知的障害者の犯罪

「横浜のアオヤギ行政書士事務所」が障害者の犯罪につき解説いたします。 ご質問やご意見は下記のフォームに記載のうえ、メールにて送信下さい。

 

 11月29日(土)に公益法人神奈川県社会福祉会山下康会長の「あたなたの被後見人が罪を犯したとき」というタイトルの研修会を受講しました。 小職も、成年後見人として、横浜家庭裁判所から、審判を受けて、現在活動しておりますので、非常に興味深く拝聴させて頂きました。 

  判例では、意思能力を欠くもの(意思無能力者)のした法律行為は無効であるとされていいます。 自己の行為の結果を判断することができる精神的能力のことを、意思能力といいます。 大体、小学校の3年生前後の精神的能力であると考えられています。 意思能力があるか否かは、個別の事案ごとに具体的に判断されますが、通常の状態では正常な判断力がある者でも、飲酒や薬物の服用によって判断力を欠くような状況が生じる場合があります。

 危険ドラッグを吸引したために意思能力を欠く状態で運転した結果、事故を起こした場合などには、適用されません。 

 

精神障害者が犯罪を犯したときの扱い

責任能力とは

 刑法39条は、「心神喪失者の行為は、罰しない」(1項)、「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」(2項)と定めています。
 心神喪失者とは責任能力のない者のことであり、心神耗弱者とは責任能力が著しく低い者を意味します。 以下に、心神喪失(責任無能力)の場合について解説します。
 ある犯罪を犯した者に対して刑罰を科すのは、その者が、たとえば、人を殺してはいけないということを正常な判断能力のもとで十分理解できているにもかかわらず、敢えて人を殺す行為をした場合には、その者は非難されて当然であると考えられるからである。
 逆に、もし、犯罪を犯した者が、なんらかの理由(たとえば、精神症状が悪いなど)により、犯行当時、その行為を行うことの是非について正常な判断能力を有しておらず、正常な判断にもとづいて行動する能力がない場合には、その者に刑罰を科すことはできないということになります。 このように、自分の行為の是非を判断し、その判断に従って行動することのできる能力を責任能力といいます。
 日本は、欧米諸国と同じく、責任能力がない者に対しては刑罰を科すことはできないという考え方をとっています(責任主義刑法)。 したがって、責任能力がないと判定された場合、その者は、刑罰(司法)の領域から、精神症状を改善するための医療の領域に移ることになる。
 

責任能力の有無の判断

 犯罪を犯した者に責任能力があるか否かは、その者に刑罰を科すことができるか否かを決定する重要なものであるから、その判定は原則として裁判所が正式な精神鑑定などにもとづいて行うべきです。
 ところが、現実には、犯罪を犯した精神障害者のうち、約9割については、検察官が責任能力の有無を判定し、不起訴処分にしています。 しかも、その判定のために、きっちりした精神鑑定を行っているケースは少なく、非常にズサンという批判の強い簡易鑑定に頼っているのが実情で、なかにはその簡易鑑定すら行わず、診断書などの資料によって判定を行っているケースがかなりあるといわれています。
   たしかに検察官は、警察から送致されてきた事件について、起訴するかどうかを決定する権限を有しています。 精神障害者が犯した事件の場合、前述したとおり、その約9割が検察官によって責任能力の有無が判断され、不起訴処分となり、正式に裁判にかけられることがありません。 ちなみに、健常者の場合の不起訴率は約4割にとどまる。
 検察官は、このようにして不起訴処分にした精神障害者について、精神保健福祉法25条により知事に通報し、その結果、当該精神障害者は、精神保健指定医による診断をへて、知事によって措置入院させられることが多いです。
 殺人、放火、強盗など重大な犯罪についても、この不起訴率はあまり変わりません。 精神障害者の犯罪であれば、万引きや住居侵入、器物損壊など比較的軽微な犯罪をふくめてすべて起訴すべきだというつもりはありませんが、重大な犯罪については起訴して、裁判の場で、まずほんとうにその精神障害者が犯罪行為を行ったのかどうか、次に、行ったことは間違いない場合には、その行為当時、責任能力があったかどうか、正式に認定、判断されるべきと思います。
 ところが、現実には、精神障害者と思われる「犯人」が一応逮捕されたが、検察官が不起訴処分にした場合には、その経過は公表されず、むろん裁判も行われないため、被害者や一般市民には、事件がどういう結果になったのかがまったくわからないという事態が生じています。  この点は、精神障害者の立場から見ても非常に問題がある。
 日本国憲法37条は、国民に裁判を受ける権利を保障しており、この権利は当然のことながら精神障害者にも認められる。
 精神障害者が犯罪を犯したとして捕まったとき、まずほんとうにその者が犯罪を犯したのかどうかが裁判の場で審理され、認定されるという手続きが保障され、そのうえで、かりに犯したとして、その行為の当時、責任能力があったか否かに争いがあれば、その点について正式な精神鑑定などを行って、最終的に裁判所が責任能力の有無を判定する。こうした手続きがきちんとふまれることは重要な意味をもつ。その結果、責任能力がないと判定されて無罪の判決を受け、検察官による知事への通報、知事による措置入院処分という流れをたどったとしても、当該精神障害者にとっては、犯罪を犯したことが裁判のなかで一応明確になっているから、措置入院などの精神医療の場において、犯罪を犯したことの自覚をもち、そのことの反省を通じて、今後の自己の生活のあり方を検討してゆく手がかりとなりえます。
 精神障害者の側から、(検察官による曖昧な不起訴処分ではなく、)正式な裁判を受ける権利を認めてほしいという声が上がっているのも、このような理由からであろう。
 このように、裁判所が犯罪を犯した精神障害者の責任能力の有無を判定する手続きをふむことによって、精神障害者の犯罪は何かうやむやのうちに処理されているという一般市民の不透明感はかなりの程度、払拭されるとともに、精神障害者の裁判を受ける権利も保障されるのである。 加えて、このような正式裁判における厳格な審理によってその精神障害者が責任無能力と判定されたという事実があれば、責任能力がなければ刑罰を科すことはできず、あとは医療の領域の問題であるという結論に対する一般市民の理解にもつながっていくと思われます。