ハロウィン

  「横浜のアオヤギ行政書士事務所」ハロウィンにつき、解説いたします。 ご質問やご意見は下記のフォームに記載のうえ、メールにて送信下さい。

 

 ハロウィンは、アングロサクソン系民族の祭日で、10月 31日、キリスト教の万聖節の前日をいいます。 もともとは秋の収穫を祝う収穫祭で、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事でした。  古くはケルト人(南ドイツのバイエル及びボヘミアあたりが原住地)の祝日で、ケルト暦の大みそかに該当し、この夜悪霊や魔術師たちが戸外を駆けめぐって次の年の予報を声高に叫び歩いたといわれています。

 現代のアメリカでは民間行事となっており、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっています。  カボチャの中身をくりぬいてランタンを作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりしています。 日本での、お盆と秋田のナマハゲを足したようなものだと理解してもらえると解り易いです。

 

 我が国日本での初めてのハロウィンは、キディランド原宿店が1970年代にハロウィン関連商品の店頭販売を開始し、1983年には同じくキデイランド原宿店が販売促進のため、日本初とされるハロウィン・パレードを行いました。 

 日本では、クリスチャンでもない人達が、クリスマスを祝い、年末の一大行事となっていいるのと同じく、ハロウィンの催も、宗教的色彩は無く、バレンタインデイと同じく、ただの商業目的で開催されているように見えます。

 今年も、ハロウィンの日が、きますが、すでに、川崎では、多くの仮装行列?が見れました。 小職の目には、昨今の日本人が、ただのファッションとして、参加して騒いでいるだけにみえました。 小職はハロウィンの日がくると、いつも下記の悲劇を忘れる訳にはゆきません。 

 

ハロウィンの悲劇

 22年前、日本から、アメリカに留学してきていた、当時16才の服部剛丈くんが射殺された事件を、昨日のように覚えています。
 服部君は、ルイジアナ州バトンルージュという田舎町の高校に留学して2ヶ月ほどたっていました。 1992年10月17日の夜服部君は、友人のウェブ君と一緒に招待を受けていた友達の家のハロウィンパーティーに向かっていました。
その日はハロウィンの日ではなくハロウィンの2週間前。 ハロウィン当日は子供達の為のパーティーが、そして、大人たちのハロウィンパーティーは、だいたいハロウィンの1、2週間前の週末に開かれるのが常で、当然あちらこちらでハロウィンパーティーが開催されますから、あっちこっちのパーティーに仮装したままハシゴしたりします。
 事件のあったその日、服部君は白いタキシードで、ジョントラボルタのサタデーナイトフィ-バー風に、ウェブ君は包帯を巻いたフランケンシュタイン風に仮装していました。 ハロウィンコスチュームとしては別に特別変わった方ではなく、ハロウィンの2週間前の週末に、そんな仮装をした若い二人ずれを近所で見かけたりしても、
誰も2人を不審者とは思わないと思われます。 それにもかかわらず服部君は44口径のマグナムリボルバー(上の写真)で無惨にも撃ち殺されてしまいます。 服部君とウェブ君はお父さんが書いた手書きの地図を頼りに、招待された家を見つけられず、番地が似ていてハロウィンの飾り付けもしてあった家を友達の家と勘違いして尋ねて行ってしまいます。 この殺人事件は、アメリカの白人の起こしたことですから、当然ながら、正当防衛で無罪となりました。 ここにも、アメリカと日本との常識ギャップが明白になった悲しいハロウィン事件です。